金・銀箔が、わが国においていつ頃から作られたかは明らかではありませんが、金・銀箔がわが国の文化史上に重要な役割を果たしてきたことは、数多くの文化遺産の中に、その実証を見ることが出来ます。
古くは、天平勝宝4年(752年)大仏開眼供養が行われた東大寺大仏殿の鴟尾も金箔によって燦然と輝いていたと伝えられ、また、日本仏教に大きな稔りをもたらした唐の高僧、鑑真和上によって創建された唐招提寺の本尊、廬舎那仏、千手観音等、飛鳥、天平文化を彩る寺院建築や仏像彫刻、さらには、平安時代の平泉の中尊寺金色堂、室町前期北山文化を代表する金閣寺や、桃山時代の豪華絢爛たる屏風、襖絵、江戸時代の日光東照宮や飾棚、手筥、蒔絵、屏風をはじめとする調度品などの美術工芸品等々、金箔は、その芸術性を高めるための重要な資材としての役割を果たしてきました。
さらに、日本の建築、家具、調度品、器物の多くが木を素材としていることから、漆とともに金箔が、それらの文化遺産の耐久性を高め、わが国の重要文化財を現代に伝えるための大きな役割を果たしてきたものと高く評価されています。
この金・銀箔が、金沢で初めて作られたのは、文献の上では、文禄2年(1593年)加賀藩祖、前田利家が豊臣秀吉の朝鮮の役の陣中より、国元へ金・銀箔の製造を命じる書を寄せていることに始まります。
以来、加賀藩の産業振興策としての美術工芸推奨策に培われ、また、蓮如上人による浄土真宗の信仰の興隆による寺院の建立や、仏壇、仏具の必要性に育まれて、遠く天平の昔に端を発した伝統的技術が連綿として、1200年の光陰の中を生き続け、ここ金沢の地に受け継がれてより約400年、今日の金沢箔産地を形成したものです。
そして、この歴史的要因と併せて、もう一つの立地条件としては、金沢が箔の製造に適した気候、気温を持ち、良い水質に恵まれているという風土的要因が挙げられます。
このような立地要因の下に受け継がれ、磨き上げられてきた金沢箔は、現代のわが国の日常生活の中に深く根を下ろし、仏壇、仏具の宗教工芸の主要資材として、また、金屏風、西陣織、漆器、陶磁器、額縁、扇子、襖紙、壁紙、水引、金看板、金文字等々、多くの生活工芸品、商業美術等の上には欠く事のできない資材として発展してきました。
そして、昭和52年には、わが国の伝統的工芸品産業の用具材料部門において、初の通商産業大臣指定を受け、また、平成26年には、文部大臣から、縁付金箔製造が文化財の選定保存技術に認定されるに至ったのもまた、故なきではありません。
このようにして、わが国の長い歴史と文化とともに受け継がれ、今日、わが国内における独占的箔産地を築いてきた金沢箔は、今後もわが国の国民信仰と生活文化の中に生き続け、その伝統によって磨かれた技術は長く受け継がれていくことでしょう。
金箔(縁付金箔・断切金箔)
断切金箔
縁付金箔
銀箔
織物用銀糸や金属糸、扇子、襖紙、壁紙、表具、水引などの各種工芸品、そして製薬用にと幅広く利用されています。真鍮箔(洋箔)
銅と亜鉛の合金から作られます。用途は、額縁、襖紙、壁紙をはじめとしてあらゆるインテリア産業の分野で、また、表装、製本、印刷、仏具などにも使われています。アルミ箔
純粋なアルミ地金から作られ、襖紙、壁紙、印刷、装飾、または千代紙用としての押紙や、織物用銀箔の代用に役立てられています。
その他
プラチナ箔、錫箔、各種金属粉等もあります。
登録第4966794号
このマークは金沢産の箔であることの証明です。
このマークは、まだ箔が手打ちで作られていた時代に使われていた道具の槌をモチーフにデザインしたものです。職人は対座し、交互に槌を振り下して箔打ちをしていました。交差する槌は、その様子を表しています。
日光東照宮
西本願寺 金沢別院
金沢駅 新幹線ホーム「柱インテリア」
金沢駅 「衝突防止マーク」